ちょうど一年前の今朝、芝居仲間が死んだ。いや、彼自身はとっくの昔に芝居から遠ざかっていたから「芝居仲間」と言ってよいものか。とにかく、僕の友人で仲間だった男だ。早世、というには早すぎる36歳の若さだった。
僕が彼と出会ったのは2000年の暮れ。 僕が他劇団に書き下ろした作品に出ていたのがきっかけだった。当時まだ20代後半だったにも関わらず、もうすっかりハゲていて、稽古場で、酒の席で、彼の薄毛はよく笑いのタネになった。自らネタにするくらいだからその笑いは決して陰湿なものではなく、僕はよく彼のМ字ハゲを形容して「凹凸の凹」と呼んでいたがその度彼は「早く凸りてぇ!」と応じて爆笑を誘っていた。そんな事をみんなが平気で言える程、彼は大らかで、懐が深くて、そして本当にみんなに愛されていた。彼の悪口を言う人間は一人もいず、彼もまた、誰の悪口も言わなかった。
それから数年して今度はLBに出て貰い、彼はそれを最後に芝居から足を洗った。とある牛丼屋に就職し店長にまで昇進し、来る日も来る日も仕事に精を出していた。
死因は恐らく過労死だろう。亡くなる直前まで親交があった女の子が電話でそう教えてくれた。そして僕はその彼女の話から、彼が亡くなるまでにどれだけ過酷な労働を強いられていたかを知った。牛丼屋の店長として毎日毎日、朝から晩まで働き、終電過ぎてなお帰れない日も多く、それでも翌朝はまた早朝から勤務。百円ショップで下着だけ買って、マンガ喫茶で仮眠を取る事も多かったという。
そんな過酷な日々がどれだけ続いたのかは分からない。ある日従業員が、店長が出社して来ない事を不審に思い、彼のアパートに向かい管理人立会いのもと部屋の扉を開けると、布団の中で眠る様に死んでいた彼を発見したという。まさに彼は眠りながら死んでいったのだ。
「○○屋、ぜったいおかしいですよ。あの会社めちゃくちゃです」受話器の向こうから女の子のやるかたない憤りが伝わって来る。僕もその話を聞きながらやるせない思いに捕らわれていた。
布団に入り、明日の為に眠る。もしかしたら、その日の彼にとって久しぶりの我が家での安眠の床であったかも知れない。だが彼は起きる事無く、そのまま死んでいった。生への執着も、死への清算も何も考える事も無く、思う時間さえ与えられずある日突然、生きる事が中断させられる。よく「どんな思いで死んでいったのだろう」と死者を悼む事があるが、彼の死にはそれさえもなかったのだ。
僕が彼の死を知ったのはラストブランドのHPに、彼の兄が連絡をくれたからだった。それから僕は知る限りの共通の知人友人に連絡をして、有志で香典を募り、11月7日、彼の実家である静岡まで赴き葬儀に参列した。
読経が終わり、永別を告げる為遺影に近づいてみて気がついた。静謐な笑みで斜を見つめている写真の中の彼は、白衣を着てネームプレートを付けていた。それは僕が書いた病院物のコメディのワンシーンだった。
帰りの新幹線の中でも、いやそれからしばらくの日常でも、彼の死が常に頭の片隅にあって何をするにしても身が入らなかった。ブログも幾つかネタを考えていたがまったく書く気にもなれず、ましてや「○○が死にました」なんて容易く書く気にはなれずそれ程彼の死は(自分でも予想以上に)重くのしかかっていた。
『討ち死に』という事を時々考えていた。彼の死はまるで討ち死にの様だった。
牛丼屋でよく激安キャンペーンを行っている。各社のその凌ぎ合いはまるでチキンレースの様だ。だがそのしわ寄せが従業員への薄給や超過勤務と言った労働環境に来ているのだとしたら、彼はまさしくその犠牲者ではないか。そんな事を考えていた。
あれ以来僕はその牛丼屋に行っていない。一生行かないと思う。「二度とそのメシは食わぬ」との思いがある。他の牛丼屋も、そうと知っていれば激安キャンペーン中は行かないことにしている。うまく説明出来ないのだけれど、彼に申し訳ないような気がするのだ。

