2009年07月06日

マンガの話。

ふぅ。タバコが美味い。それはそうと手塚漫画も殆ど買いつくしてしまい、基本的に漫画を買わない僕だけど二つだけ例外があってそれが「PLUTO」と「ギャグマンガ日和」である。だがこの二つ。滅多に新刊が出ない。忘れたころに出る。それに巻数も少ない。だからちょうどいい。あんな「ONE PIECE」や「バカボンド」みたいにしょっちゅうたくさん出てたら俺の人生マンガに征服されてしまう。


そしたら先日の木曜日、本屋に「PLUTO」最終巻が平積みされていた。そうか。とうとう出たか。待ち望んでいた最終巻が。しかしなぜ今。ごめんね「PLUTO」。すぐさま手にとって読んであげたかったけどおじちゃんやらなきゃいけない仕事があるの。それ買ってしまったらその仕事ぜったい手につかなくなるからもう少し待っててね。必ず買うからね。あぁ。しっかし気になる。


そうして煩悩に打ち勝ちプチ解脱に成功した僕は土曜日、「PLUTO」の様子でも見に行こうとして本屋に立ち寄り今度は「ギャグマンガ日和・10巻」が平積みされているのを発見してしまう。あぁ。待ち望んでいた新刊が。とうとう出たか。一時は待ち望み過ぎた挙句、なんかどうでもいい「キャラ図鑑」を新刊と間違えて買ってしまい、それでもそこそこ楽しんだという程の不遇の日々を過ごしていたがとうとう出たか。それにしてもなぜ今。やらなきゃいけないことがあるのに。だが何故今。揃いも揃って。どちらかだけならまだしも。ダブルで来られたら。結論。無理。それまでの聖人君子っぷりが嘘のように瓦解し抑えていた煩悩も雪崩のように到来し結局二冊同時に購入してしまった。




そんな訳で土曜の夕方から真夜中にかけて、僕はマンガ廃人と化してしまいました。けっこう、いい年をした大人なのに。
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2009年06月16日

すいません。言いすぎました。←←←

今更だが四月から首都圏のJRが全面禁煙となった。神奈川県では来年夏から海水浴場での喫煙禁止の条例を検討中であるという。静岡和歌山の一部の海水浴場ではすでに禁煙が実施されていて、喫煙者にとってますます肩身の狭い状況になりつつある。


果たして本当にこれでいいのだろうか。
今や喫煙者は物言えぬ被差別者となっていてその境遇たるや絶滅寸前、とはいえ誰も保護する気配すら無くこのままではトキよりも先に消滅してしまいそうな勢いである。


「副流煙を吸いたくない」「歩き煙草は危険」「ポイ捨てをするな」等
喫煙者に制限を課す条例や非喫煙者の、主張や目的は本来こういったものであった筈だ。この点においては僕も非常に共感する。子供の頃、大人の歩き煙草で怖い思いを何度もしたし今でもポイ捨てをする人間を見ると心から軽蔑する。神奈川県の海水浴場に捨てられるごみの3割がタバコの吸い殻であるという事実からは最早「喫煙者の自業自得」という感すらある。
かつて非喫煙者はマイノリティであった。そのマイノリティがようやく
嫌煙権を主張できる状況になったというのは納得できるし歓迎する。
そこまではよかった。本当はそこで非喫煙者と愛煙家双方の主張を尊重し、その共存方法を模索していけばよかった筈だ。


だが社会の成熟はそうならず一部の嫌煙家はやがて喫煙そのものの行為を否定し、喫煙者の人格そのものを否定する方向へと舵を切るようになる。「喫煙者は病気」「喫煙者の口臭は臭い」「喫煙者は差別していい」・・。これは僕の創作では無く実際に目にし耳にしてきた主張である。この主張が「言いすぎ」との窘めを受けることもなく寧ろ賛同される傾向である現実。もはや善意のファシズムである。「看護婦」を「看護師」と言い換える程差別に敏感な社会がこの差別にはまったくと言っていいほど反応しない。


ここには「受け入れがたい他者とどう共存していくか」という指向性が欠落している。

「私はタバコの煙が嫌い」という主張が最短距離で「だから喫煙者の主張も権利も一切認めない」との結論にたどりつく短絡性。

「私はタバコの煙が嫌い」。でも「タバコが好きな人もいる」「ストレス解消のために喫煙する人もいる」・・・。で、どう共存していくか。
どう折り合いをつけていくか。その上で互いの立場を尊重したうえで改善策を見つけていく。これは何もタバコに限らず人が社会で生きていくにあたって必要な思索であり施策である。


喫煙者だって健康に悪いことなんて百も承知である。誰に言われずとも。
昔から「タバコは百害あって一利無し」と言われ忌むべきものであった。だが「でもそうは言ってもこの一服が美味いんだよねぇ」という主張を、吸う側も吸わない側も許容する寛容さがかつてはあった筈だ。


いいものだけでなく、悪いものもある。清濁併せてこその社会であり人であるべきだ。それでもダメだと言うのなら、ダイエットを決意してもついついラーメンを食べてしまう、そんな人間の愛すべきダメさ加減と何が変わらないんだと僕は言いたい。


最後に所構わずタバコを吸ってきた、或いはポイ捨てを平気で行ってきた喫煙者も反省するべきだ。今までのマナー、モラル無視の喫煙が現況を招いたと言ってもいい。本当は行政や条例に介入させずに自分たちで改善するべき問題だったのだ。



そして本当に最後に。僕は吸いません。きっぱりと止めました。
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2009年06月09日

幾つかの犯罪について思うこと。

毎日のように起こる悲惨な事件に埋もれ、この足利事件についてもすっかり忘れていたのだが「犯人がバスの運転手」ということと「DNA鑑定により」逮捕されたというこの二つの点で思い出した。

反省することしきりなんだがこの事件が起きた時、僕もまた「DNAでクロと判定されたんだから犯人に間違いない」と思い込んでいた。思い込んでいたまま、忘れていた。

当時絶対的な信用性があったとされるDNA捜査も年月が経つと実はまだ開発途上であったり、有罪の依拠であった自白も「強制されたもの」として覆されたりでここから感じるのは、事実とは「絶対的」なものでは無く、時代や状況等でいかようにも変化する「相対的」なものであるという「事実」である。

菅谷さんは無罪が証明され解放されたが同じDNA鑑定で「クロ」と判断され、本人が無罪を主張しているにも関わらず死刑が執行された「飯塚事件」のようなケースもある。この事件では現在弁護団が再審を請求している。

そして。林真須美は本当に死刑に値するのだろうか?


マスコミは「菅谷さん無罪でしたすいませんでしたおめでとう」と騒ぐならこれらの件についてもう少し検証しそれぞれの意見を主張した方がいいのではないだろうか。「われわれマスコミにも反省するところがありまして」などと殊勝なことが言えるのなら。


一方で宅間守や加藤智大や先日裁判が開かれた土浦の事件のように卑劣で卑怯で残虐極まりない、かつ一片の反省も見せないゴミのような犯罪者も存在する。


死刑廃止論者がその論を主張する根拠の一つとして冤罪の可能性を挙げるが僕は別の意味から彼らを死刑にすべきではないと思う。
「死にたくて死刑になりたくて人を殺した」という彼らを望みどおり死刑にしたところで意味がない。

彼らは死刑にするより死ぬまで重労働に課すべきだと思う。
人の命を奪うということ。その重み。遺族の悲しみ、怒り。それらが一生消えるものでは無いということ。
今まで学ぶことが出来なかったことを望みどおり「死ぬほどつらい」労働を課して学ばせてやればいい。

そうして何年何十年かかるか分からないがいつか自分の犯した罪がどれほど身勝手で卑怯卑劣であったか罪の重さに苦しみその呵責に苛まれながら残りの一生を惨めに生きていけばいい。

posted by ラストブランド at 14:37| 東京 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

厳密に言うと劇団じゃないんですが。

さてパセリとか草なぎ君とか書いてる場合ではない。
ラストブランドの今後についてである。


次回公演をどうするかということである。


去年「明日のアトム」、「小指と殺し屋たち」そして「言葉の消えゆく街で」と三本連続公演をやってみて感じた可能性と限界というものがそれぞれあって、僕はその限界の部分に危機感を感じているんです。それはたとえば稽古場であったり本番中のブースや舞台袖、或いは
板の上で芝居をしながら感じたことであったりもするんですが。
今はその危機感の解消法を、模索しながら次回公演を思案中、といったところです。


年内はやりません。現時点でどこのコヤも押さえていません。
そういう状況です。


僕はこれから先どんどんホンを書き続けたいし書くネタにも一生困らないという自負はあります。自分の才能にも誇りを持っているしそれを証明し続けなければならないとも思っています。
ただその証明の「とりあえずの場所」としてラストブランドが機能してはいけない。劇団を構えるということは両刃の刃なんです。
これだけで分かる人にはわかってもらえると思いますが。



ただ本当にありがたいのは次回公演を待っていただいているお客さんがいて下さるということです。このことは「言葉の〜」公演の際、アンケートやメールなどいろんな形で声をかけていただいて実感したのですが
そういったお客さん方のためにも「今のまんまのラストブランド」で次回公演を打ってはいけないな、と。や、これは案外僕の自己満足かも知れないな。お客さんのニーズがどこにあるのか。公演を打ちながらカンパニーを成長させていった方がいいのか。そういう方法もありますからね。「なんでもいいから早く次書け」    はい。


ラストブランドではありませんがニ、三の企画はあります。もっと具体的に煮詰まってきたらここで発表させていただきます。



すいません木曜の朝方なので真面目な話になってしまいました。次回からは演劇サイトにまるでふさわしくないパセリと草なぎ君の話に戻ります。

貞岡秀司
posted by ラストブランド at 10:20| 東京 雨| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

こんなところで

090516_162706.jpg懐かしの友との再会。
posted by ラストブランド at 16:29| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 稽古場日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

今月は一度だけです。

百日紅が置手紙を置いて旅立ちました。

そして忘れな草が逝去されました。生後約一か月でした。


やはり狭い発泡スチロールの箱ん中で呉越同舟は正常に機能せず
培養土の栄養を圧倒的多数派パセリに全部もっていかれパセリに無勢、
花たちは枯れました。百日も持たずに忘れ(ry


パセリは元気です


それはさておき、次回のワークショップは30日土曜6時からです。
また、行こうかなと思う人はメールください。


前回のワークショップは懐かしの意外な人から連絡があり、彼女は奇特なことに僕のメアドをわざわざ人から聞き出して連絡をくれました。


僕がまだ22,3ぐらいのころの芝居仲間で、当時はもうパワフルでダイナミックな演技(っていうかネタ?笑)で客席を沸かせていたおもしろいヤツだった。


彼女はそれから生涯の伴侶を得て芝居から完全に離れていたのだが、
子育てが一段落したのを機にまた再開しようと思っていたそうだ。


久しぶりに見る彼女の演技は相変わらずどこか滑稽で、というかどこも滑稽で、俺達は同じく久しぶりに会った、昔はともに芝居をやったK君とゲラゲラ笑いながら見ていました。


帰りは居酒屋に入り、久しぶりの再会を祝いながらバカ話に興じました。


そんな訳でラストブランドワークショップは芝居へのリハビリも兼ねてお送りしています。

posted by ラストブランド at 23:23| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

四月から始めたことのひとつ。

ひと月ほど前からパセリを育てている。
きっかけも何もない。前回の公演時からベランダに発泡スチロールの箱が転がっていてこれでガーデニングでもやってみたいと思っていたのだ。

培養土を10kgほど箱に敷き詰め、初心者に適した野菜としてパセリの種を植え、彩を加えるために一緒に購入した勿忘草と百日紅を添えて育て始めた。



10日ほどで芽が出ると説明書きにはあったが件の日を過ぎてもその気配が無く、やはり初心者には難しかったのかと諦めかけていたころ、パセリの芽が出て来た。種を蒔いてから丁度二週間目のことだった。

ガーデニング 009.JPG

それからさらに三週間ほど経つが彩を添えていた筈の草花は残念ながら枯れてしまい、代わりにパセリが少しづつ少しづつ成長を続けている。


狭いスペースに密集して生えているので(種蒔きすぎた(>_<))時々間引いてやりながら育てている。


パセリというのは芽の段階では普通の草と変わりないんですね。だけどやがて成長してくるとあのおなじみの縮れたパセリになってくる。


まぁ可愛いもんです。朝起きたらすぐパセリに水やってね、成長を記録するためにデジカメ撮影しています。親バカならぬパセリバカです。
まぁ例えも強引ですが子供を育てる親の、或いはペットを飼う飼い主の
気持ちが少しはわかったかな。2%位。

ガーデニング 102.JPG
posted by ラストブランド at 20:40| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月04日

おんなじ時を過ごしてきた君と。

21歳の正月、初めてギターで弾いた曲が『スローバラード』だった。
サビのB7がどうしてもうまくいかず、何度も何度も練習した。


カラオケで『雨上がりの夜空に』を歌うと俺たちは必ずサビで大合唱になった。


『トランジスタラジオ』は高校時代、授業中によくウォークマンでこっそり聞いた。


'87だか'88のクリスマススペシャルでの桑田佳祐との伝説のコラボ
『セッションだあ!』の感動は今でも鮮烈に覚えている。



僕らの世代の、特に男たちは、清志郎抜きではあの、やるせなくてもどかしく、そして忌まわしい青春を語れないと思う。高校入学を前後して俺達はみんな通過儀礼のように清志郎を聴いた。レコードからカセットテープにダビングしてウォークマンで聴いた。サザンでは少し足りない、もう少し荒くれて、やさぐれた気持ちを清志郎はカッコよく代弁してくれた。



比較的最近の歌でもとても好きな歌がある。


  心の隙間を埋めてくれるものは
  君の笑顔だったのに
  心の隙間が君にもあったなんて
  僕は情けないやつだな     
                   「あの娘の神様」


・・・国やボス、政治家、原発などには容赦なく批判する気骨さをもっているのに、宗教にはまり去って行った恋人には「僕は情けない奴だ」と自分を責める、そんな清志郎のナイーブさが好きだった。

あぁ。ほんとうに死んじゃったんだな。


ぽっかりと、大穴が空きました。


最後までエキセントリックセクシーで、ちっとも丸くならずとんがったまんまでいてくれた清志郎、ほんとうにありがとうございました。
posted by ラストブランド at 20:25| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月27日

炎上しませんよ〜に!

ほんとブログってほったらかしにするよね。するよね〜。ベタですかそうですか。何書きましょう?さて。何書きましょうね。家電はどうしたかって?知りません。あれだあれ書きましょう皆さんご存知の例の芸能ネタ。俳優の息子が公園で裸になったら肺結核になって著作権詐欺で訴えられたんですよね何か混ざりましたか。


逮捕二日目のね、ミ●ネ屋見てたらね、「愛すべき酔っ払い」だの「やったことは大したことない」だの「俺もこの程度の事は云々」だのま〜気ぃ使っちゃってね。むしろその事に強烈な違和感を覚えました。



彼の場合、起こしたことの大小よりも与えてしまった影響の方を考慮しなければいけないと思うんですね。まぁ例えば僕が公園で裸になって逮捕されたとしてもどうということはないすよね。僕なんて公然わいせつがライフワークみたいなもんですから。『裸になって何が悪い』は俺のセリフだろってくらいで。



でも彼の場合、言うまでもなくそれで多くの人間が迷惑を被り、事態収拾に奔走し、代わりに謝罪し、多くのプロジェクトが中止や頓挫をして多額の金が損失されていく訳でしょ。与える影響の規模が違う。どんな小さな犯罪も犯しちゃいけない存在なんですよね。なんてったって国民的アイドルですから。


そんな何やかやをすっ飛ばして「ま〜いいじゃんいいじゃん」にしてしまう事に僕は違和感を感じるんですよね。え?それでいいの?って。
挙句の果てには警察や騒ぎすぎるマスコミも悪いなんて言いだして、少しでも彼を批判しようもんなら袋叩きになりそうな風潮まで出てきて。


何故誰も叱る人間がいないんだろう?


鳩山総務相の当初の反応なんてまともだと思うんだけどあっさり謝罪してしまった。や企業ならあれが普通でしょう。


特別チャンネルを合わせることはないけど僕はスマップって好きなんですよね。誤解のないように言いますが。一人ひとり才能あるし多才だしね。僕なんかより見えない努力を何倍もしてるんだろうし。『ぷっ』すまも好んでよく見てる。早く復帰させてやるべきだと心から思う。


だからこそね。や、だからこそ「悪いことは悪い」。そして「悪いことをしたらきちんと罰を受ける」。これは彼よりもとりまく周りの大人たちですかね。そのうえで彼には「華々しく復活する」という手本を見せて欲しいんですよね。彼に好感を持ち、慕い、憧れ、目標にしている人たちのためにも。


そんな訳で。

みんなに迷惑かけて何やってんだバカ。そして頑張れ
posted by ラストブランド at 22:10| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月03日

家電エッセイ@〜糟糠のテレビ〜

テレビの買い替え時がわかりません。


僕ん家のテレビは何を隠そう四年ほど前、うちの制作を担う保科という名の美佐緒がくれたものだ。


当時ノーテレビ・ノーライフ・ノーブラジャーを気取っていた僕は新札発行もスマトラ沖地震もホリエモンフジテレビ襲撃も何も知らず稽古場でも飲みの場所でも人様の話題にまったくついていけませんでした。
ノーテレビノーデータ。それでも全然平気だったんですがそのあまりの世間知らずっぷりを見るに見かねた保科さんが、まるで東京湾を漁船に乗ってやって来た松田優作のようにタクシーに乗って我が家に持って来てくれたのだ。


植物図鑑の代わりにテレビを小脇に抱え。


「新しいテレビを買い替えたのでもう必要なくなったの。ちょっと古くてスピーカーを付けないと音が出ないけど」
イエステレビ、バットノーサウンド。だけどその気持ちだけでありがたく、それ以降そのテレビを愛用していた。


それから約三年ほどが経った一昨年の暮れ、テレビがつかなくなった。
スイッチを入れても映像が映らないのだ。イエステレビ、ノーヴィジョン。だがその時はスイッチを何度か入れるとついていた。もともと相当古いテレビ、しかも貰いものだったから壊れればいつでも買い換えるつもりでいた。金が無い訳ではないのだから。だが映るなら話は別だ。使えるものをわざわざ捨ててまで買い替える必要はない。貧乏家庭に育った貧乏性がこんなところでも発揮されていた。


やがて、まったくつかなくなった。いくらスイッチを入れてもうんともすんとも言わないのだ。とうとう買い替え時が来たようだ。もう一度言うが金が無いわけでは、ない。だが何度試してみてもつかないテレビに業をにやした僕は腹立ちまぎれにテレビの側面、人間の顔面で言うところの右こめかみをひっぱたいた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パチッ。


ついた。叩いてみたらついた。なんて原始的な。しかし、なら使えるものをわざわざ捨ててまで買い換える必要はない。何度も言うが、金がないわけでは、・・・ない。多分。僕はそれまでと同様、そのテレビを使うことにした。


やがて、まったくつかなくなった。いくら右テンプルを叩いてもうんともすんとも言わないのだ。とうとう買い替え時が来たようだ。だがその時ひらめいた。反対側を叩いてみたらどうだろう?
僕は人間の顔面で言うところの左こめかみにあたる部分を思い切り叩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パチッ。

ついた。左テンプルを叩いてみたらついた。使えるものをわざわざ捨ててまで買い換える必要はない。自己確認のために言うが金が無い訳では・・・ない、ならいいな。僕はそれまでと同様、そのテレビを愛用することにした。



それから約一年半、人間の顔面で言うところの右頬、頭頂部、左眉、うわくちびる・・・・、とひっぱたく処を次々と変えながらもこのテレビは現在まで生き延びている。一時期は雪山で眠ろうとするのを起こすかのごとく揺さぶってやったらついたこともある。「起きろ!寝ると死ぬぞ!」いや死なせてやれよ。モルヒネ何本打てばこのテレビ安住の地に着けるんだよ。ゴール行ったり来たりでもうガンダーラ二、三回素通りしてますよ。


世間ではとうの昔から地デジ対応のテレビへの買い替えを奨励されていて、僕なんかは画面の右端に映る「アナログ」という表示を見るたびに「そんな回りくどい言い方しなくてもはっきり『アナクロ』って言ってくれたらどうなんだい!」と懇願したくなる。それほどこのテレビは確かに時代錯誤なのだろう。


だがこれだけ長い時間を共に過ごしてきたこのテレビに、僕は少なからず愛着を抱いているのだ。共に白髪の生えるまで、もう少し寄り添って行こうじゃないか。なぁテレビ。・・・・・・・あれ?・・・テレビ?テレビ君?
posted by ラストブランド at 03:10| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | さださん日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする